九州大学基幹教育科目 文系ディシプリン「経済史入門」(後期・水1)
11月19日 L06 近代綿紡績業の役割と博多絹綿紡績 ―キャナルシティは何だったのか―
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1.近代綿紡績業の成立過程

(1)綿製品の輸入代替化
 ・綿製品の輸入→ファッションの拡大,絹綿交織物
  ⇔貿易収支の悪化→正貨流出
  ⇒保護貿易の実施=輸入防遏:輸入品の国内代替
 ・官営紡績所:2000錘精紡機,水力,国産原綿→失敗
 ・「松方財政」:抑制効果→国内産業の保護・育成

(2)企業勃興期の綿輸入紡績業(1880年代後半)
 ・大阪紡績会社の設立[1882]:大規模経営
  →10,500錘,蒸気機関,中国棉花の使用

(3)第2次企業勃興期の綿紡績業(1890年代後半)
 ・「七大紡」の成立,上位5社で生産の60%
 ・三井:中上川彦次郎の改革と工業化→鐘紡を傘下

2.近代九州の紡績産業

(1)九州・福岡の紡績会社
 ・1898(明治31)年:紡績会社設立のピーク
   ・日本全国:60社(大阪:14,岡山:9,兵庫:6)
    →神戸・大阪:原料綿花の輸入港
   ・九州:5社(福岡:3,熊本:1,大分1)
    →久留米,三池,博多,熊本,中津

―ハーフタイム―

(2)三池紡績会社(1889年設立,10,368錘→31,104錘)
 ・発起人:旧藩士,地主,商人,三池銀行+三井物産
   ・三池炭鉱払下げ→益田孝の地元融和策
   ・安価な石炭,原綿の輸入,綿織物産地に近接
 ・地方市場の飽和→都市部や海外で販売する必要性
   ・熊本紡績,久留米紡績と合併→九州紡績[1899]

3.博多絹綿紡績会社と福博商工業者

(1)博多紡績の設立と博多商人の役割
 ・設立:1896年,資本金:60万円(1万2,000株)
 ・発起人:太田清蔵,渡辺一族,磯野七平など博多商人
   +久留米絣卸商,京都・大阪の呉服商人

(2)博多紡績の経営事情
 ・福岡県下の綿糸不足,岡山地方からの綿糸依存
  ⇔九州市場の狭隘性,新規参入障壁→輸出市場へ
  ⇔義和団の乱[1899]・北進事変[1900]で大打撃
  ⇒借金と利子による経営への圧迫

(3)鐘淵紡績との合併
 ・鐘紡(三井の資本傘下)の進出:九州紡績を合併
  →博多紡績との合併[1902]
 ・地方市場に対する在来産業の限界,後発企業の不利
【参考文献】
岡本幸雄「明治期渡辺家の企業者活動」,迎由理男・永江眞夫編『近代福岡博多の企業者活動』九州大学出版会,2007年,所収
同「博多絹綿紡績株式会社の成立と展開過程」,迎・永江編『近代福岡博多の企業者活動』,所収
中村尚史『地方からの産業革命』名古屋大学出版会,2010年
迎由理男「企業勃興と福博商工業者」,迎・永江編『近代福岡博多の企業者活動』,所収
にしてつWebミュージアム『渡辺與八郎の未来都市』2,「船越鉄道と博多絹綿紡績」