1.近代綿紡績業の成立過程
(1)綿製品の輸入代替化
・綿製品の輸入→ファッションの拡大,絹綿交織物
⇔貿易収支の悪化→正貨流出
⇒保護貿易の実施=輸入防遏:輸入品の国内代替
・官営紡績所:2000錘精紡機,水力,国産原綿→失敗
・「松方財政」:抑制効果→国内産業の保護・育成
(2)企業勃興期の綿輸入紡績業(1880年代後半)
・大阪紡績会社の設立[1882]:大規模経営
→10,500錘,蒸気機関,中国棉花の使用
(3)第2次企業勃興期の綿紡績業(1890年代後半)
・「七大紡」の成立,上位5社で生産の60%
・三井:中上川彦次郎の改革と工業化→鐘紡を傘下
2.近代九州の紡績産業
(1)九州・福岡の紡績会社
・1898(明治31)年:紡績会社設立のピーク
・日本全国:60社(大阪:14,岡山:9,兵庫:6)
→神戸・大阪:原料綿花の輸入港
・九州:5社(福岡:3,熊本:1,大分1)
→久留米,三池,博多,熊本,中津
―ハーフタイム―
(2)三池紡績会社(1889年設立,10,368錘→31,104錘)
・発起人:旧藩士,地主,商人,三池銀行+三井物産
・三池炭鉱払下げ→益田孝の地元融和策
・安価な石炭,原綿の輸入,綿織物産地に近接
・地方市場の飽和→都市部や海外で販売する必要性
・熊本紡績,久留米紡績と合併→九州紡績[1899]
3.博多絹綿紡績会社と福博商工業者
(1)博多紡績の設立と博多商人の役割
・設立:1896年,資本金:60万円(1万2,000株)
・発起人:太田清蔵,渡辺一族,磯野七平など博多商人
+久留米絣卸商,京都・大阪の呉服商人
(2)博多紡績の経営事情
・福岡県下の綿糸不足,岡山地方からの綿糸依存
⇔九州市場の狭隘性,新規参入障壁→輸出市場へ
⇔義和団の乱[1899]・北進事変[1900]で大打撃
⇒借金と利子による経営への圧迫
(3)鐘淵紡績との合併
・鐘紡(三井の資本傘下)の進出:九州紡績を合併
→博多紡績との合併[1902]
・地方市場に対する在来産業の限界,後発企業の不利
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