九州大学基幹教育科目 文系ディシプリン「経済史入門」(後期・水1)
1月14日 L12 戦後復興・高度成長期と西鉄ライオンズの盛衰
―日本シリーズ三連覇から黒い霧事件まで―
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1.日本の戦後復興・高度成長と九州石炭業

(1)国勢調査による人口推移
 ・全国:統計開始から増加,福岡県:1960-75年に停滞
 ・北九州市:1980年から減,福岡市:1950年から増
 ・産業別:農鉱業の衰退⇔商業・サービス業の上昇

(2)戦後復興期の石炭業と「傾斜生産方式」
 ・高賃金,資材高騰→輸入炭と比較して高炭価
  ⇒増産と炭価引下げ⇔炭鉱の経営赤字化,資金不足

(3)「スクラップ・アンド・ビルド」による合理化と閉山
 ・輸入炭と石油輸入の増加(「油主炭従」)
  →非能率鉱の廃止,優良鉱への生産集中
  ⇔炭労のストと人員整理問題,三井三池争議[1960]
 ・三井三池炭鉱坑内爆発事故[1963]:死者458人
 ・閉山:新入[1963],高島・鯰田[1970],端島[1974]

2.職業野球の誕生と1リーグ制:1933-50年

(1)渡米経験者と訪日米国人による野球の普及
 ・鉄道省,一高(東大)→慶早野球試合[1903-06]
 ・中等学校野球大会:全国[1915],選抜[1924]
 ・六大学野球[1925],都市対抗野球大会[1925]

(2)職業野球の誕生と戦前のプロ野球史
 ・読売新聞正力松太郎社長,全米軍を招聘[1934]
  →大日本東京野球倶楽部の結成[1934]
  →東京巨人軍と改称,米国遠征[1935]
 ・日本職業野球連盟の結成[1936],1リーグ制
   ・戦前の優勝:巨人(6回),大阪・阪神(3回)
 ・職業野球に対する偏見と徴兵
   ・戦没者:鎮魂の碑(69人),戦没野球人(172人)
   ・沢村栄治[G14],吉原正喜[G27],景浦将[T6]

―ハーフタイム―

3.西鉄ライオンズの繁栄と衰退:1951-72年

(1)戦前~戦後復興期の西鉄野球
 ・小倉到津球場の建設→沢村vsベーブ・ルース[1934]
 ・東京セネタース(西武が支援)→大洋→西鉄軍[1943]
 ・ノンプロチーム結成[1946],都市対抗野球優勝[1948]
  →プロチーム「西鉄クリッパース」設立[1949]
 ・セパ分裂[1950]→西鉄:パ,西日本パイレーツ:セ
  →合併,西鉄ライオンズの誕生[1951]

(2)福岡におけるライオンズの時代[1951-72]
 ・三原脩監督と野武士軍団(大下,中西,豊田,稲尾)
 ・リーグ初優勝[1954],日本シリーズ三連覇[1956-58]
 ・稲尾和久シーズン42勝[1961],リーグ優勝[1963]
 ・「黒い霧事件」[1969]→福岡野球(株)へ譲渡[1972]
  →(株)西武ライオンズへ商号変更,所沢へ[1978]
【参考文献】
橘川武郎・奈良堂史『ファンから観たプロ野球の歴史』日本経済評論社,2009年
杉山伸也『日本経済史 近世-現代』岩波書店,2012年
杉山伸也「「傾斜生産」構想と資材・労働力・資金問題」,杉山伸也・牛島利明編『日本石炭産業の衰退』慶應義塾大学出版会,2012年,所収
西日本鉄道100年史編纂委員会編『西日本鉄道百年史』西日本鉄道,2008年
三菱鉱業セメント株式会社総務部社史編纂室『三菱鉱業社史』三菱鉱業セメント,1976年
山室寛之『野球と戦争』中央公論新社,2010年
山室寛之『プロ野球復興史』中央公論新社,2012年
にしてつWebミュージアム(西日本鉄道サイト内)
栄光の歴史「西鉄ライオンズ」(埼玉西武ライオンズサイト内)