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鶺鴒(セキレイ)の花押 |
伊達政宗画像 |
花押とは,署名の下に書く判のこと。政宗は,鶺鴒をかたどって,花押としていました。時代がによって,尾の部分が徐々に伸びる様子がうかがえます。(上図の尾部は,非常に長い!)
大河ドラマ「独眼竜政宗」で,政宗(渡辺謙)が秀吉(勝新太郎)から謀反の疑いをかけられたとき,政宗は「自分が書いた書状には,鶺鴒の花押に目を空けています。太閤さまがお持ちの書状は,目が開いてないので偽物です。」と弁明し,疑いを晴らしたのを思い出しました。 |
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政宗の画像は,両眼を開いて描かれています。これは,実際には隻眼だった政宗本人の希望だと言い伝えられています。 |
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黒漆五枚胴具足
(伊達政宗所用・重要文化財) |
紫羅背板地五色水玉文様陣羽織
(伝・伊達政宗所用) |
戦国大名が所用した甲冑の中でも,一二を争うほど有名な作品。漆黒の胴具足と,弦月型の前立の付いた兜が,非常に印象的です。
STAR WARSのダースベーダーは,この甲冑をヒントに誕生したとか,しないとか…。きっと戦国時代の「ダースベーダー」も,あのテーマソングにあわせて登場してきたことでしょう。でも,私には,やはり「独眼竜政宗」の主題歌のほうが,耳に残っています。
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羅背板(ラセイタ)とは,羅紗よりも薄く,手ざわりのやや粗い輸入毛織物の一種です。ポルトガル語で"raxeta"と書きます。原料となる生地は,南蛮貿易でもたらされたと考えられます。だから,遠くから眺めると絹のようになめらかに見えますが,そばで観察すると,毛羽立っているのが,よくわかります。寒冷の東北地方で合戦で着用すると,とても温かそうです。
斬新な水玉模様として,長らく政宗の伊達男ぶりを象徴するものとして扱われてきました。しかし,明治期の記録には,政宗の陣羽織が水玉ではなく,星形だったと書かれているため,もう少し時代が下った江戸前期~中期の製作とも考えられています。
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支倉常長像(国宝) |
支倉常長は伊達政宗の家臣で,1613(慶長18)年に,慶長遣欧使節の正使としてスペイン,ローマを訪問し,通商交渉を行いました。当初の目的を果たせないまま,1620(元和6)年に帰国,キリスト教禁制下で不遇の晩年を過ごしました。
常長が持ち帰った資料は,当時の東北地方におけるキリスト教の普及・弾圧過程を克明に伝えています。 |
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「蘭学階梯」(大槻玄沢著,1788(天明8)年刊) |
「海国兵談」(林子平著,1791(寛政3)年刊) |
大槻玄沢は,徳川後期の蘭方医・蘭学者。江戸で杉田玄白,前野良沢から蘭学を学び,長崎にて遊学後,江戸詰の仙台藩医となり,家塾芝蘭堂を開きました。
「蘭学階梯」は,玄沢の著した蘭学の入門書で,蘭学のすすめ,オランダ語の発音表記,和訳作成の注意書きが述べられています。
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林子平は18世紀の経世家で,寛政三奇人の一人に数えられています。仙台に移居後,同藩の工藤平助(田沼意次に蝦夷地開拓を進言)と交際し,のちに長崎でオランダ商館に出入りして,海外情勢に関する認識を深めました。
「海国兵談」は,18世紀末期のロシア南下政策に対する警告書で,幕府に海防の急務を説きましたが,寛政の改革において発禁,子平は蟄居処分となりました。
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