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観覧時間 |
9:00am-5:00pm |
休館日 |
・12月29日~12月31日
・12月第1火・水曜日 |
入場料 |
・大人(15歳以上)300円
・小人(4歳以上15歳未満)150円 ※「唐津城・旧高取邸・曳山展示場」共通入場券は,大人1,000円 |
アクセス |
・西鉄天神大牟田線「西鉄柳川駅」からタクシーで10分,または川下りで約70分 |
展示の特徴 |
・「唐津くんち」とは,唐津神社で開かれる秋季例大祭(11月2~4日)の一般的な総称。
・「供日(くにち)」を「くんち」と読むことから,収穫祭としての要素が強いといわれています。
・1819(文政2)年,刀町の赤獅子を皮切りに,1876(明治9)年まで15台の曳山(祭礼の山車)が奉納されました。
(うち1台は,明治中期に損滅。)
・この祭礼時に使われる曳山を,1年中保管・展示しているのが,「曳山展示場」です。
・本物の曳山を見る満足感は,格別なものです。 |
URL |
http://web.people-i.ne.jp/~k-bunkashinko-j2/hikiyama.html ((財)唐津市文化振興財団のサイト) |
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1番曳山「赤獅子」は1819(文政2)年,
2番曳山「青獅子」は1824(文政7)年の製作。 |
14台の曳山は,「唐津くんち」になると,
それぞれ専用の扉から出て街を巡行していきます。 |
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曳山の製作年代と物価との関係は?
ここで,経済史研究者としての下らぬ思いつきに,ひとつお付き合い下さい。
下表には,14台の曳山がいつ製作されたのか,その完成年代を掲げてみました。最も古いのが「赤獅子」で1819(文政2)年,最も新しいのが「鯱」と「七宝丸」で,ともに1876(明治9)年作です。この間,12台(うち1台は消滅)の曳山が奉納されましたが,その完成に至るまでの間隔は,けっして一定ではありません。とくに1840年代,60年代,70年代に集中しているのが理解できます。
次に,その下のグラフをご覧ください。これは,徳川後期における大坂米価の推移を年ベースで100年以上にわたり,集計したものです。大坂と唐津藩内の米相場の関係性は定かではありませんが,少なくとも大坂中央市場と西日本の地方領国市場においては,高い相関性が既にこれまでの研究で確認されています。
そうすると,曳山が製作された1840年代,60年代というのは,ともに米価の上昇期に相当します。また,グラフにはありませんが,1870年代というのも,通貨供給量の増大に伴う物価上昇期に該当します。
単なる偶然といえば,それまでなのかもしれませんが,景気の善し悪し,地方経済の活況と,祭礼規模の拡幅は何らかの関係があるのかもしれません。(それを実証する唐津藩の良質な史料があるといいのですが…。) |
1番 |
赤獅子 |
1819(文政2)年 |
2番 |
青獅子 |
1824(文政7)年 |
3番 |
亀と浦島太郎 |
1841(天保12)年 |
4番 |
源義経の兜 |
1844(天保15)年 |
5番 |
鯛 |
1845(弘化2)年 |
6番 |
鳳凰丸 |
1846(弘化3)年 |
7番 |
飛龍 |
1846(弘化3)年 |
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8番 |
金獅子 |
1847(弘化4)年 |
9番 |
武田信玄の兜 |
1864(元治元)年 |
10番 |
上杉謙信の兜 |
1869(明治2)年 |
11番 |
酒呑童子と源頼光の兜 |
1869(明治2)年 |
12番 |
珠取獅子 |
1875(明治8)年 |
13番 |
鯱 |
1876(明治9)年 |
14番 |
七宝丸 |
1876(明治9)年 |
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出典) 新保博『近世の物価と経済発展』東京経済新報社,1978年,付属統計表,340-345頁。 |
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