「政治の中心で歴史を偲ぶ」赤坂
赤坂見附紀尾井町
赤坂見附・紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡
・清水谷公園(大久保利通暗殺現場)
のロケーション
赤坂見附
赤坂見附
アクセス
東京メトロ銀座線・丸ノ内線「赤坂見附駅」下車徒歩2分      
この石垣は?
江戸城外郭門のひとつである赤坂御門の一部です。          
「見附」って?
江戸城の門は,敵の進入を発見する施設の役割を持つため,「見附」と呼ばれていました。
ほかにも,「四谷見附」という名前が残っています。
←千代田区教育委員会設置の説明板を撮影

紀尾井町
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡
アクセス
東京メトロ銀座線・丸ノ内線「赤坂見附駅」下車徒歩2分
沿革
「紀尾井町」とは,伊和歌山藩徳川家,張名古屋藩徳川家,近江彦根藩伊家(最近は「ひこにゃん」で有名)の武家屋敷があった地域です。1872(明治5)年に,頭文字を合わせて「紀尾井町」と命名されました。
現在,それぞれの土地は
紀伊藩邸→「グランドプリンスホテル赤坂」
尾張藩邸→「上智大学」
彦根藩邸→「ホテルニューオータニ」
として活用されています。

清水谷公園(大久保利通暗殺現場)
アクセス
東京メトロ銀座線・丸ノ内線「赤坂見附駅」下車徒歩2分
沿革
この地は,紀伊藩邸と彦根藩邸にあり,紀伊藩屋敷内に清水が湧いていたことから,「清水谷」と命名されました。
みどころ
「贈右大臣大久保公哀悼碑」(写真左上)
 1878(明治11)年5月14日の朝,内務卿・大久保利通は,赤坂御所へ出仕する途中,清水谷で暗殺されました(「紀尾井坂の変」)。この碑は,のちに,大久保の同僚だった明治政府の官僚によって,暗殺現場の周辺である当地に建てられたものです。
「玉川上水の石枡と木樋」(写真左下)
 写真の石枡は,1970(昭和45)年の麹町通り(国道20号線)拡幅工事の際に出土した玉川上水幹線の一部。玉川上水は,四谷大木戸から暗渠となり,江戸城内,麹町・赤坂などの武家地,京橋川以南の町人地に給水されていました。
【玉川上水関連】
 ・羽村堰
 ・拝島付近の玉川上水
 ・江戸東京博物館
2008年1月10日現在
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